夜のドメイン評論ブログ

店舗ドメインを切り口に、多様な風俗文化と愛を語ります。

書評:「昼休み、またピンクサロンに走り出していた」は平成育ちの僕らを救うヒップホップである。

今回は友人でもある素人童貞@sirotodotei)が素童の名義で書いた「昼休み、またピンクサロンに走り出していた」(通称「昼ピン」)の書評を書きたいと思う。

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本書は著者である素人童貞が、童貞を卒業した初めての本番(セッ◯ス)ありの違法風俗に始まり、彼の主戦場であるピンサロやニューハーフヘルス、VRオナクラ、M性感や外国人ヘルスで遊んだ体験談を軽快な筆致で綴ったエッセイ、ということになっている。ブログ記事を元にしているため、風俗遊びのピュアな感動が熱量たっぷりに描かれており、変に冷静で仄暗い社会派な主張を押し付けられないだけでなく、読み手を意識したある種の「あざとさ」を感じさせるエンタメ本として完成されている。教養の深い彼によるユーモラスな文体は風俗ブログにありがちな独りよがりのオナニー文章では決してないのである(風俗なのでオナニーではないのだ)

ただ本書の面白さは「風俗の面白さ」には止まらない。事実、自分の観測範囲だけでも風俗に関わる関わらないを問わずに広い読者が本書を楽しんでいるようだ。何よりも彼以上に風俗に通ってきた自分も「いい本だな」と心から思った。自分はいま28歳だが、本書に描かれたタイプの風俗にはすべて行っているし、何なら母乳を飲んだり、臨月ママとプレイをしたり、60代の風俗嬢とプレイをしたあとに「若いのにこんなお店に来てお母さんが悲しむよ」と「逆説教」をされたりしている(これだけ書くと単なるマザコンに見えるがお姉さんの方が好きである)。海外での風俗遊びも有名どころは制覇しており、風俗エピソードの持ちネタなら十分に戦える気がするのだが、そんな自分でも本書を読んで猛烈に新鮮な感動を覚えた。

私の考える本書が持つ唯一無二の魅力とは何か。それはヒップホップであり、ヒップホップとはマイノリティの表現による救いなのである。本記事ではヒップホップとは何か、本書との相似点はどういったものか、を順を追って綴っていく。やや冗長かもしれないが、本記事をもって本書を「風俗レビューで文才を無駄遣いしたネタ本」としてではなく、少子化が叫ばれる現代日本において特に性愛に冷めていると揶揄される「平成育ちの僕ら」を救う「読むヒップホップ」として紹介する

ヒップホップとは何か

つい最近までイギリスの伝説的ロックバンド「クイーン」の伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が流行していたが、ヒップホップという文化を俯瞰する上でもやはり象徴的な映画が存在する。「Straight Outta Compton」と「8 Mile」である。前者はN.W.Aという1986年に結成された黒人ヒップホップグループの伝記映画であり、後者は史上最大級の音楽売上を誇る白人ヒップホップMCのエミネムが自ら主演した半自伝的映画である。この2作品を個人解釈も含めて概説する。

「Straight Outta Compton」について

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映画タイトルでありファーストアルバム名でもある「Straight Outta Compton」のコンプトンとは、アメリカ・カリフォルニア州南部(ロサンゼルスの南)に位置する都市名である。コンプトンは殺人が発生しまくる、アメリカで最も犯罪率が高い都市の1つとして知られており、N.W.Aはそんな土地で結成された。N.W.AはNiggaz Wit Attitudes(主張する黒人たち)の略であり、彼らは犯罪率が非常に高いコンプトンにおいて、特に犯罪傾向が強かった黒人として不満を抱えて生きていた。彼らの代表的な楽曲である「ファック・ザ・ポリス」は、ただ「コンプトンの街中を歩いている黒人」というだけで犯罪を疑われて警官に不当に地面に叩きつけられる彼らの日常と怒りを綴った反権力的な歌詞が特徴だ

N.W.Aがなぜ伝説的でエポックメイキングな存在かというと、彼らがギャングスタラップという文化を確立させ、迫害されるマイノリティ(黒人)による反抗が全米で受け入れられる契機となったからだ。特に前述の「ファック・ザ・ポリス」は、1980年代の米国における黒人差別に対する社会的是正(今でいうポリコレ)の文脈で象徴的に担がれた。彼らは初めて黒人ギャングたちの思想を音楽を通して広めた存在であり、多くの若者が(白人でさえも)驚きを持って彼らを応援した。また銃を持ち暴力を振るう警官に対して、無血でストリートギャング同士の抗争を解決する手段としても用いられた「ラップ文化」を活かして対抗する方法論も非常に秀逸であった。

8 Mile」について

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皆さんも無意識的にでも一度は楽曲を聴いたことがあるだろうエミネムによる半自伝的な映画である。ここでもやはりヒップホップらしい反逆心がテーマとなる。エミネムの半生は壮絶である。彼は幼少期に父に捨てられ母子家庭で育った。極貧の環境において母からも嫌われ、同世代からもイジメられて自殺未遂も経験している。そんな中で彼が出会ったのがヒップホップであった

8 Mile」はミシガン州デトロイトに存在する、都市と郊外と隔てる境界線の道「8 Mile Road」から取られたタイトルだ。2013年に正式に財政破綻したデトロイト自動車産業がすでに没落していた1995年当時、8 Mile Roadの郊外(貧困層)側に母・妹とトレーラーハウスで暮らしていたのがエミネムが自ら演じる主人公であった。貧困と苦境の中で、彼は8 Mile Roadの向こう(都市・富裕層)側に夢を見る。絶望の中で怒りのエネルギーを宿した彼は、テレビ朝日の「フリースタイルダンジョン」でも有名になったMCバトル(ラップによるバトル)に挑戦する。

(以下「8 Mile」ネタバレあり)
8 Mile」における最後のMCバトルではエミネムの強さが明確に描かれており、ヒップホップの真骨頂を垣間見れる。当時のラップはN.W.Aなどの影響もあって「黒人の文化」として余りにも広く親しまれており、ラストバトルはラップに必死な主人公と、ある種のファッションとしてラップを嗜んでいる金持ちの黒人との対照的なバトルであった。MCバトルでは互いのことをラップでdisりあって優劣を決めるが、そのラストバトルで社会的強者である金持ちの黒人に対して主人公は以下のような口撃を圧倒的な技巧をもっておこなう。

・俺は黒人文化における白人ラッパー(マイノリティ)だ
・俺の友達はダサいやつばかりだ
・恋人が別の男に抱かれていた
・超貧乏な家族とトレーラーハウス暮らしだ

彼が金持ちの黒人からされた口撃ではない。彼が金持ちの黒人に対しておこなった口撃なのである。シンプルに言えばこれは自虐だ。本来のヒップホップ文化の持つ、力を持たないマイノリティによる音楽での反抗。この反抗を、ラップ文化が黒人(アメリカにおけるマイノリティ)とはいえ金持ちの道楽にまで成り下がりつつあった時代に再び「貧乏な白人」という立場からおこなったのだ。ヒップホップ文化のリニューアルともいえるこの口撃を受けて、金持ちの黒人は何も言い返せなくなる。社会的には勝ち組な金持ち黒人は、特に金持ちでもなく社会への反抗心を内に秘めたオーディエンスからの支持を失う。オーディエンスは一気にエミネム演じる主人公に加勢する。お前こそが最強のラッパーだと認める。

「昼ピン」はヒップホップである

さて、ヒップホップについて2本の映画を通してその本質を書いたつもりだ。ここで改めて「昼ピン」について考えてみる。まず第一に本書の主人公である筆者は「素人童貞」を名乗る。この筆名に注目してみると、まるで和製エミネムのような圧倒的自虐性を感じるのだ。すなわち、なぜ彼は「風俗通い」ではなく「素人童貞」を名乗るのか?

皆さんがご存知のように近代日本においては特に生活に困ることはない。貧困に喘ぐと言っても餓死することは非常に稀であり、インフラは拡充し人生を楽しむためのコストは下がってきている。かつてエミネムが戦ったような、金持ちと貧困層間の対立は減ってきている。そんな近代日本における新たな煽りの構造は「恋愛資本主義」に因ったものだった

恋愛資本主義の社会とは、特に金を使わなくてもそれなりに楽しく生きられるようになってしまった社会において、それでも民衆に消費をさせて社会の歯車を回すために「恋愛によるセックス」を一生涯追い求めることを強いる社会である。「恋愛によるセックスができる人間が男女ともに偉い」という幻想を追いかけさせることによって、無駄な消費をあらゆる側面で促してきたのが「平成」という時代であった

そうした中、いよいよ恋愛資本主義に疲弊してきた「平成の終わり」に、恋愛に淡白で消費をしない「平成生まれ」の「素人童貞」を名乗る人間が本書の筆者である。恋愛資本主義社会において「素人童貞」とは女にモテない無価値な負け組の象徴として使われる蔑称だ。皆が「恋愛によるセックス」のために消費をしてきた現代において、裏でコソコソと無駄金を払って「恋愛によらないセックス」をおこなう、恋愛資本主義と逆行する罪人のような蔑称を敢えて彼は自称するのだ。

この心意気は完全にヒップホップである。黒人ヒップホップグループのN.W.Aが自ら名乗った「N.」に相当する「Niggaz」は未だにアメリカでは黒人を指す差別用語であるし、エミネムは劣悪な環境に裏打ちされた自虐性を強みとした。N.W.Aもエミネムも圧倒的な音楽的な技巧を持って「銃を持った警官」や「金と権力を持った社会的強者」と戦った。素人童貞も全く同様に独自の巧みな文才を持ってして「ペンは剣よりも強し」を体現するかのように「無意味な恋愛志向消費を繰り返すリア充」との無血の戦いを繰り広げているのである

コンプトン発の黒人グループ(マイノリティ)がラップを通して黒人差別を是正させたように、

デトロイト貧困層側(マイノリティ)からエミネムが共感を得て社会的強者に勝ったように、

栃木県小山市で童貞を卒業し池袋の風俗に通う素人童貞(マイノリティ)は、本書を通して恋愛資本主義を否定しようとしているのだ。

だからこそ、「ファック・ザ・ポリス」が不当な警官による黒人差別を表現して若い白人にまで「確かにおかしいぞ!」と思わせたように、風俗に通ったことすらない者であっても、恋愛資本主義のくだらなさに気づいてしまった平成育ちの若者には素人童貞の「昼ピン」が刺さるのである石田衣良は「昭和生まれ」のイケメンが活躍する「池袋ウェストゲートパーク(IWGP)」シリーズを小説として発表してきたが、本書は「Straight Outta Compton」や「8 Mile」に倣って地名を入れたスピンオフ作品「池袋ノースゲートホテル」として発表しても良かったかもしれない。IWGPに象徴される「昭和生まれ・育ち」によるモテ至上主義が崩壊し、「平成生まれ・育ち」の素人童貞という被差別存在が新たな時代の到来を告げるのが本書なのだから。


雑多であったが、以上で書評を終えたいと思う。

ところで素人童貞は2作目を作るのだろうか。N.W.Aのファーストアルバム「Straight Outta Compton」に収録された1曲目はアルバムと同名の楽曲であったが、2曲目こそが物議をかもした「ファック・ザ・ポリス」であった。素人童貞風営法を守っているので「ファック」できないのが弱点ではあるものの、「素股・ザ・リア充」のタイトルで2作目を発表し、それが「恋愛によるセックス」を無意味に煽る恋愛資本主義からの脱却ムーブメントの決定打となってほしい

蛇足:「昼ピン」はやっぱりヒップホップである

技巧的な表現という意味では、当然のように素人童貞はヒップホップらしく韻を踏むことにも固執する(本人は無自覚的かもしれないが、だとすると本書はヒップホップの再発明である)。本書においてビートルズの「イマジン」と風俗で使う「イソジン」の韻の踏み(ライム)などをしつくらいくらいに繰り返しており、そうしたライミングや独特のフロウ(言い回し)が言葉(リリック)に流れを作ってコンテンツとしての価値を高めている。

また特に日本語ラップにおいては、親や友人への感謝がよく歌われる。MCバトルにおいても「Mother Fucker!」と安易なdisをかまされた際には「は、Mother Fucker? 俺はまず母に感謝!」と返すことが定石である。マイノリティであるラッパーは、そんな自分を作り上げてくれた「地元」や「親・友人」への思い入れが非常に強いのである素人童貞は自身の生まれ故郷や実の親にこそ感謝しないが、その一方で「19歳のころに素人童貞として栃木県小山市で生を受けた」と自称し、池袋に住んで池袋のピンサロに通っていることを例によってしつこく表現する。彼の心の故郷は紛れもなく「栃木県小山市」であり、育った地は「池袋」なのである。

(以下、本書ネタバレあり)
極め付けに、本書のあとがきは象徴的だ。本書の「あとがき」は読者を裏切るおふざけだと言う意見を見たことがあるが、ヒップホップとして本書を楽しんでいた私にとっては余りにも自然で当然の文章がそこにあった。ここまで被差別対象のマイノリティという立場で、社会における圧倒的な理不尽さに対抗するかのように衝動的で技巧的な表現をおこなってきた筆者は、そんな自身を作ってくれた故郷だけでなく「親・友人」に相当する対象へ感謝を書くはずなのである。そして「素人童貞」である彼にとってのその対象とはもちろん風俗嬢であった

著書の許可を得たので、以下に本書の「あとがき」の写メを挙げる(故郷という表現での土地への言及がしつこい辺り、彼は真のラッパーである)。

この「あとがき」を読みながら、皆さんはDragon Ashによるヒップホップの名曲「GRATEFUL DAYS」(歌詞)が頭に流れずにいられるだろうか……?

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